溜池通信

<From the Editor> 500号までの道のり
「溜池通信」は本号でとうとう通算500号を迎えました。あらためて振り返ってみると、こんな歴史でありました。

  • 500号ってのはすごいです。改めて、最初から読んでみようかな。こういうのは空いた時間にipadとかで読むのがよいのでしょうけど、いくら画面を見ても頭に入らないので、印刷して持ち歩くのが重いかな。

2001年6月:「近未来架空小説・小泉政権」(110号)を掲載。

  • 予想外に面白かった。この当時、政治にも経済にも金融にも興味が無く、技術分野についても勘違いした興味の持ち方で明後日の方向を目指していた気がする。我ながら一体何をやっていたんでしょうねえ。

2003年4月:米国がイラク戦争に向かう過程を何度も取り上げ、その集大成を『アメリカの論理』(新潮新書)として出版。

  • この本、買ったけどまだ読んでないや。この半年色々あって勉強をサボりまくってしまったけど、近々復活する予定なので、第一弾で目を通すことにしよう。

2005年3月:「1985年の日本経済・考」(267号)を執筆。のちにこれが『1985年』(新潮新書)に発展する。

  • 興味を持ったのでこの本も買ってみようと思う。そう、当時は郵貯の定額預金金利が6%近くもあったのだよ。お年玉を預けて満期になると倍額になって帰ってくる物だと思っていたものだ。更に前の時代には15%越えというあり得ない時代もあったようだが。

2006年1月:「再びホリえもんが教えてくれたこと」(304号)がきっかけで、テレビ朝日サンデープロジェクト」にゲスト出演。それがご縁で、約3年にわたって同番組コメンテーターを務めることに。

  • FY2005の一年間は脇目もふらずセキュリティ分野に一直線だった。分野は違うけど、あの勢いで3年間勉強し続けていれば、司法試験は無理にしても弁理士とか司法書士なら十分射程に入ったと確信するくらい。実際には一年で力尽きたけど、だからこそ継続して何かに取り組める人は無条件に尊敬の対象になる。
  • しかしまあ、ライブドアも株価も完全に他人事。今考えればとても惜しいことだけど、中途半端に興味持っていたら投資して大損していた可能性の方が高いだろうから、結果オーライだろう。

2009年4月:リーマンショック後の不況はまことに深く、「2009年度L字型回復の視点」(414号)を書いたときには、「やっと底が見えたか」と思いました。

  • 株式投資を始めたけど、何がなにやらさっぱりわからない時期だったなあ。遠い目。

2011年3月:「財政難時代の安全保障を考える」(464号)をめずらしく午前中に脱稿したら、午後2時46分に震災が発生。続く「3/11震災後の日本経済」(465号)以降は、毎号必死になって書きました。

  • 災害時に円高になるロジックとか、ぐっちーさんや本石町日記とあわせて非常に勉強になりました。