らくだのひとりごと: 席を譲らなかった若者

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本件そのものについての感想は、老若男女問わず、ある種の人物は、敬意に基づく扱いを受ける資格がないということの再認識。あえて文章に残そうと思ったのは次の二点が気になったからです。

仮に、若者なり作者なり周囲の第三者が老人に席を譲っていたらどうなっただろうか?

原文を参照すると、下記のような記述がある。


「最近の若い者は年寄りを立たせても平気なんだから」「ちょっと前は罪悪感からか寝たふりを
したもんだが、最近じゃ寝たフリもしないからふてぶてしい」などと、かなり大きな声で話して
いるのが耳に入ってきたからだ。どうも自分の前にいる若者に席を譲らせて女性2人を座らせた
かったらしい。

仮に誰かがこの老人に席を譲ったとしても、そこで事象が終わったとは思えません。おそらく、座った後も、「最近の若者は、わざわざ言われなければ席も譲れないのか。」といった趣旨の発言を継続していたと予測します。おそらく、席を譲った人に対する感謝の意を示すことは無いでしょうし、周囲を巻き込んでさらに悪態をつき続ける状態だったのではないでしょうか。
それを考えると、原因を作った老人が自業自得の末電車を降りる事で決着が付いたのですから、落としどころとしては適切だったんじゃないかと。

自分がその立場にいたらどういう行動をしただろうか?

見知らぬ人物に対する行動規範は、TFT戦略が最良であると信じています。
この言葉を知ったのは、佐藤大輔氏の侵攻作戦パシフィック・ストーム外伝 (1) (C・novels)でしたので、つい最近まで御大の造語かと思っていましたが、ゲーム理論や外交においては普通に使われる用語らしい。原理は非常に単純。

  • 自分からは何もアクションを起こさない。中立の態度をとり続け、相手の反応を待つ。
  • 以後の対応は、相手と同じことを繰り返す。信頼には信頼を、好意には好意を、悪意には悪意を、裏切りには裏切りを、必ず等量だけ相手に返します。

TFT戦略というとマイナーかもしれませんが、同じ内容のことを実践されている方は多いでしょう。さて、このような考え方の私が現場に居合わせた場合、思考過程はともかく、現象面での反応は若者さんと全く同じことになります。

  • 気分を害された(悪意を受けた)事に対する等価報復をした上で、
  • 座りたければシルバーシートに行けと主張する

しかしながら、こういう議論は普段から使うべき言葉をストックしておかないと、言いたいことの10%も言えずに終わってしまうものです。その意味で、若者さんは日頃こういうことを考え続けてきたのかもしれません。
さて、ここまで書いた私はといえば、感動的なまでに筋の通った若者さんの言葉を、自分の引き出しににしまっておきたい所存でございます。:-)


「あんたたちさぁ、山は歩けるのに電車では立てないの? それっておかしくない? 遊んできた
んだろ? こっちはこれから仕事に行くところなんだよ。だいたいさぁ、俺みたいなヤツが土曜日
も働いてあんたたちの年金を作ってやってるんだって分かってる? 俺があんたみたいなジジイに
なったら年金なんてもらえなくて、優雅に山登りなんてやっていられないんだよ。とにかく座りた
かったらシルバーシートに行けよ」

自分が「若者」だったらどうなっていたか?

上とはちょっと視点が違います。
自分が若者さんの立場だった場合、多分、目の前で進行中の出来事を終始気づかなかったでしょうね。移動中はそれなりの音量で英語の教材を聞いているし、まして着席していたのであれば100%でしょう。:-)