ため池通信

tameike.net

<10月23日>(土)

○「成長から分配へ」とか、「成長と分配の好循環」とか、今度の選挙ではそういう言葉をよく聞く。日本経済は成長を優先して分配を後回しにしてきた、だから皆の賃金が上がらなかったのだ、ということが共通認識になっているようだ。でも、本当にそうなんだろうか。

アベノミクスが始まった2013年1-3月期の実質GDPは522.6兆円である。それが直近の2021年4-6月期では538.7兆円である。まあ、コロナのせいもあるのだけれども、8年かけてわずか3%しか伸びていない。年率に換算すると0.36%という低成長率である。これでいったい、どこが「成長重視」だったのだろう?

○かねてからのワシの時論であるが、アベノミクスの真の成果は雇用者数を増やしたことである。2013年1月には5518万人。それが今年8月には5967万人になっている。コロナにもかかわらず、449万人も増えている。そして増えた分はほとんどが高齢者と女性である。

○特に定年を延長した分が効いている。年金支払いを遅らせた結果、ワシ前後の世代が会社にしがみついているのである。仮に企業が遠慮なく高齢者を会社から放り出していれば、それだけ雇用者数は減っているはずだが、その分の人件費は若い社員の賃上げの原資になった公算が大である。実は「分配」はしっかりやっていたのではないか。

○つまりアベノミクスとは、「成長したかったけれども成長できず、分配をするつもりはなかったのに、ついつい分配してしまった」という経済政策だったのである。意外に思われるかもしれないが、日本経済は分配では失敗していない。失敗したのは成長の方である。どうだ、参ったか。

○これとまったく違う道を歩んでいるのがアメリカ経済である。アメリカでは、コロナと同時に失業率が4.4%から14.8%に上昇した(2020年4月)。つまり企業が遠慮なく社員のクビを切った。そこから成長を続けて、既にコロナ前の水準を回復した。今年9月には失業率は4.8%まで下がったものの、そこに到来したのが"The Great Resignation"(大退職時代)である。つまり社員がどんどん辞めてしまう。いわゆる選択的失業というやつだ。

○彼らは学習したのである。コロナ下で命のはかなさを知った、家族と一緒にいる時間をもっと長くしたい、できれば通勤なんてしたくない、そもそも人生って何なんだろう、などと考えるところが大であったのだ。社員が勤務を求めないのであれば、結果として企業は賃金を上げざるを得ない。つまり、分配とは政府が与えてくれるものではなく、労働者が実力で奪い取るものであったのだ。

○そもそも日本において賃上げが起きていない現状は、国民が「成長より分配」を求めてきた結果ではないのか。仕事があるだけで幸せです、どうか会社から追い出さないでください、という個々の社員の卑屈な心掛けが、賃上げしなくてもよい社会を可能にしてきたのではないか。このうえ、政治に分配を求めるとはなんという心得違いであろうか。

○とりあえず今回の総選挙においては、与党側は、「今の失業率は2.8%です。コロナ下でこんなに低く保っている国はありません。この国の経済はそんなに失敗しているわけではないのです」などと言って、理解を求めるくらいしかないだろう。これも一種の「不都合な真実」というものであろうか。